イタリア生活で孤独を感じるときに思うこと

こんにちは、ぽれんたです。

海外生活をしていると、孤独を感じたり、周りから差別を受けているのではと悩むことがあると思います。

私自身もイタリアで生活する中で、そうした気持ちに何度も向き合ってきました。

正直にいえば、今でも落ち込んでしまう日があります。

今日はその体験を通じて感じた事や気づいたことを書こうと思います。

孤独を感じる日常

海外生活では、言葉の壁や文化の違いから、日常の様々な場面で孤独や疎外感を感じることがあります。

買い物のとき、役所の手続きのとき、バールやレストランでの対応のとき、家族の集まりの時にでさえそう感じることがあります。

イタリア人にはもっと親しげに接しているのに、自分にはどこか事務的で冷たい対応をされているように感じることがあり、「気のせいだ」と思っても、自分だけが疎外されているような感覚になり、孤独を強く意識してしまうのです。

以前の幼稚園での出来事ですが、私が挨拶をしても視線を向けず、まるで存在しないかのように無視する人がいました。

他のママ達には笑顔で挨拶を返すのに、私には見向きもしない、そのせいもあって1年の間で仲良くなった幼稚園のママはゼローーそんな苦い経験があります。

例えば最近では、娘が幼稚園を転園しそこでの新学期が始まったのですが、既に顔見知りのママたちが挨拶し合ったりグループで過ごしていると、新参者プラス外国人の私は簡単に輪に入ることはできず、遠くから傍観するしかありませんでした。

新しい幼稚園でも、私が挨拶しなければ誰一人、先に声をかけてくれる人はいませんでした。

こうした出来事が重なると、これは差別なのか、それとも文化や言葉の壁が生み出す距離感なのか、わからなくなってしまうのです。

コミュニケーションの壁が孤独を生む?

日本では初対面の相手こそ丁寧に挨拶をし、ある程度会話を交わすのが一般的ではないでしょうか。

親しい関係になるかどうかは別として、表面的にはにこやかに接することが多いと思います。

でもイタリアでは、親しい相手ほどとてもフレンドリーで愛情あふれる挨拶をかわし、知らない人に対してはあっさりしていて、最初から積極的に関係を築こうとする人は少ないのです。

言葉の問題に加え、この接し方の違いや関係の作り方の違いが、私にとってはコミュニケーションの壁となり、距離感を生む大きな理由の一つになっているのだと気づきました。

悩みがピークに達したとき、「自分からこんなに行動しているのに、どうして向こうからは声をかけてくれないの?私はイタリア人じゃないから、どうでもいいと思われているんだ。日本人だから差別しているんだ」と思っていました。

でもこれは、日本での習慣や当たり前の感覚をイタリアでも求めてしまい、うまくいかない現実に疎外感を強めてしまっていたのです。

外国人を見る側から、見られる側へ

日本にいた頃の私は、外国人だからといって避けようと思ったことはありませんでした。

むしろ、外国人の人と友達になったら面白いだろうな、誰か話しかけてくれないかな、そんな風に思っていたくらいです。

でも実際には、自分から声をかけることはありませんでした。

知らない人だし、もし話したければ向こうから声をかけてくるだろう、と自然に思っていたのです。

相手の語学力を考えたり、困っているかもしれないと考えたこともなく、この人が日本語を話せなかったら困るなくらいに思うだけで、結局それ以上のことは何もしませんでした。

今イタリアで外国人として暮らすようになり、イタリアの人たちもきっと同じ感覚なのだろうと気づきました。

差別しようとか、わざわざ排除しようと思っているわけではない

ただ、日本にいた頃の私がそうだったように、私個人に対して特別な関心を持つ理由もないのです。

そして、彼らにとっては何気なく交わしている日常会話が、私には理解できないこともあり、今何が話されているのかわからず、その状況が孤独感や疎外感を一層強めてしまうのだと思います。

私が実践していること

この3年間、悩み続けながらも、今は少しずつこんなことを実践しています。

まだ途中経過ですが、同じように悩んでいる方の気持ちが楽になるきっかけになればと思い、ここにまとめました。

言葉や文化を学ぶ

語学学校に通ったり、自分でも勉強を続けています。郷に入れば郷に従え、イタリア社会に馴染もうとする姿勢は意外と伝わるもので、喜んで受け入れてくれる人もいます。

自分がどうしたいかで動く

挨拶したければ自分からする、話したいと感じる人にだけ話しかけてみる、話したくない日は無言でいてもいい、など、自分主体で決めて行動するようにしています。

人と比べない

イタリア在住の他の日本人の友達の話を聞いて、楽しそうにみえて焦ることがありました。でも、その人にも悩みはあるのかもしれない。比べて落ち込むのをやめて、「自分は自分のペースでいい」と決めました。

支えてくれる人に頼る

私がしんどい時は、日本にいる母や友達に連絡します。泣きながら電話したことも何回もあります。でも、日本語で気兼ねなく話をするだけで、不思議と心が落ち着くのです。「日本には私が変える場所がある」と思えると、「どうせ帰るならもう少し頑張ってみようか」と前を向けます。

失敗を肯定する

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今でも失敗ばかりです。うまくいかないことや恥ずかしい思いをすることもたくさんあります。でも、失敗があるからこそ気づけることがあるし、成長できる。挑戦した自分に「よくやった」と声をかけるようにしています。

ぼっちでいい

辛い時ほど周りは楽しそうに見え、自分だけが取り残された気分になります。でも、イタリア人の中にも”ボッチ”は意外に多いのです。正直、夫も頻繁に連絡を取る友達は一人だけ。他の友達は返事がこなかったり、約束をドタキャンされたりすることも珍しくありません。表面上はにぎやかに見えても、実際は違うことがあります。だから「ぼっちでいい」と受け入れられるようになると、気持ちがぐっと楽になります。

さいごに

頭では理解していても、やっぱりしんどくなる日があると思います。

うまくいかない日が続くと、心が折れそうになるかもしれません。

でもそんな時は「失敗が次につながる」「頑張った自分は偉い」と、自分を誉めてあげてください。

小さな努力の積み重ねが、やがて大きな成果になると信じて。

完璧じゃなくてもいいし、ぼっちでもいい。

自分を信じて、自分のペースで少しづつ進んでいけばいいのだと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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