こんにちは、ぽれんたです。
イタリア旅行やイタリア移住を控えていると、街並みや食事、新しい生活などを想像してワクワクしますよね。
その一方で、「現地の人はどんな雰囲気なんだろう?」「アジア人差別はあるのかな?」と少し不安になる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
特に差別というテーマはとてもデリケートな問題なので、なかなか本音が見えにくい部分でもあります。
SNSなどでは「イタリア人はとても親切」という声もあれば、反対に「嫌な思いをした」という体験談を目にすることもあります。
今回は、日本人としてイタリアで暮らしている中で私が感じたこと、経験したことや生活する中で見えてきたことを、一つの個人的な体験談や感想として共有したいと思います。
実際のところ、イタリアにアジア人差別はあるのか?
正直にいうと、全くないと言い切ることはできません。
実際にイタリアで生活していて、アジア人だからという理由で、差別的な言葉や態度に戸惑った経験は私自身あるからです。
また、周りの日本人やアジア人から、似たような話を聞くこともあります。
ですが、日本人だから差別された、という経験が一度もないのも事実です。
困っている時に助けてもらったり、声をかけてもらったり、人の温かさを感じる場面はたくさんあります。
それに何よりも、イタリア人に対してと何らかわらない対等な扱いをされることの方が、圧倒的に多いと感じています。
私が実際に経験したこと
残念ながら、片出で数えられる程度ですが、差別発言を受けたこがあります。
私が実際に受けたものとして印象に残っているのは、アジア知識がなかったり、アジア人に対する偏見や差別意識からきているように感じる言葉です。
実際に受けた言葉
- 娘を幼稚園に迎えに行った帰り道、数人の小学生から「チネーゼ!チネーゼ!(中国人という意味)」と叫ばれたことがあった。
- 韓国人の友人と一緒に公園で子供たちを遊ばせていた時に、近くのベンチに座っていた中学生くらいの子たちが「チンチョン!(アジア人をからかうような差別的表現)」と笑いながら話している声が聞こえた。
- 犬の散歩をしている男性から、すれ違いざまに「犬は食べられないよ~!」と笑いながら言われた。
おそらくこれらの発言の中には、本人にとっては冗談のつもりだったり、アジア人に対する偏見を面白いジョークのように仲間内で話をしているだけなのかもしれません。
ですが、言われた側としては本当に悲しい気持ちになりました。
アジア人差別は中国人へのイメージからきている?
アジア人差別と言われるものの中には、中国人に対するネガティブなイメージからきているものも多いのかもしれません。
実際に私が経験する回数が多いなと感じたのは、「どこから来たの?」と聞かれ、日本人だと分かると、手のひらを返したように好意的な対応に変わる人がいることです。
そして、そういう人ほど、「中国人はマナーを守らない」「イタリア語を話さない」「中国人同士で固まる」といった、中国人に対するネガティブな発言をしてくることが多いように思います。
もちろん、中国人と関わったことがある人は全員がそうではないことを知っています。
しかしイタリアからは中国も日本も遠い国で、アジアに対する大きなイメージや固定観念から、差別的ともとれる発言が出てくるのかもしれないと思いました。
「日本人は礼儀正しい」「日本は素晴らしいと友達が言っていた」「日本は美しい国だから行ってみたい」などと言ってもらえると、嬉しい気持ちになる一方で、中国人への反応との温度差に驚き、複雑な気持ちになることが何度もありました。
イタリア人同士でも差別しあう!?
イタリアで生活していくなかでわかったことは、こうした偏見や固定観念のようなものは、外国人に対してだけではないということです。
夫の家族や友人との会話を聞いていると、イタリア人同士でもお互いの地域を評価し合っているように感じることがあります。
例えば、南イタリア人は北イタリア人を「Polentone(ポレントーネ:ポレンタばかり食べる人)と呼んでからかったり、反対に北イタリア人は南イタリア人の話し方やジェスチャーを真似して笑ったりします。
他には、「ミラノ人はプライドだけは高い」「ナポリ人は声が大きくジェスチャーも大袈裟」「ベネチア人は閉鎖的で冷たい」など、地域ごとのイメージを冗談ぽく話しているのを聞くこともあります。
私が住んでいるような田舎の本当に小さな街同士でも、「横の街より私の街が一番住みやすい」「他の地域のレシピより私の地域のレシピが一番美味しい」など、自分たちの地域に強い誇りを持っている人の話をよく耳にします。
これらのけなし合い、自慢し合いは本気で憎み合っているというより、ブラックジョークのような感覚があるのだと思います。
実際に、「イタリア人同士だからこそ言い合えるのよ!」と言われたこともありました。
差別というより文化の違いもある?
イタリアで暮らし始めた頃は、本当の差別発言をされた時を除いても、ちょっとした態度や行動に対して、「差別されたのではないか」と考えてしまうことがよくありました。
ですが今振り返ると、それは差別ではなく文化の違いだったのかもしれないと思うこともあります。
①初対面の距離感
日本では初対面でも、愛想よく丁寧に接することが普通かもしれません。
ですがイタリアでは(私の住んでいるヴェネト州では)、知らない人に対しては必要以上に踏み込まず、ある程度距離を保って接することが多いように感じます。
「イタリア人は陽気でフレンドリー」というイメージを持っていた私は、そのそっけない態度にショックを受け、「外国人だから嫌われているのかも」と考えてしまうことが何度もありました。
しかし、それは外国人だから距離をとられるのではなく、イタリア人同士でも同じであることがわかりました。
②挨拶は思った以上に重要
日本では、飲食店やアパレル店、市役所、病院などでも、顧客や利用者はサービスを受ける側として、店員さんや職員さんから声をかけてもらうことが一般的かもしれません。
一方イタリアでは、サービスを利用する側も、まずはこちらから挨拶をすることが当たり前のように感じます。
バールやレストランに入店する際、病院や市役所の受付でも、挨拶をしてからようやく話が進むこともあります。
私は当初、日本のサービスが当たり前だったため、黙って店に入り、黙ってレジに並んでいたこともあります。
今思うと、イタリア人から見れば「挨拶もしない失礼な外国人」に見えていたかもしれません。
実際イタリアでは、挨拶は単なる礼儀ではなく、相手を認識し、関わるための意思表示のような役割もあるのだと思います。
私自身、挨拶の大切さを知ってから、人との関わり方が少し変わりました。
③自分から動かなければ何も始まらない
日本では、わからない人がいれば職員さんから声をかけてくれたり、手続きの流れを丁寧に説明してくれることが多いと思います。
ですがイタリアでは基本的に、「分からなければ自分から聞く」「必要なら自分から動く」という考え方が強いように感じます。
私自身、市役所や病院、滞在許可証の手続きなどで何度もそれを経験しました。
わからないからといって、とりあえず列に並んで黙って待っているだけでは、順番がきても「間違っている」とだけ言われ、そのまま終わってしまうこともあります。
移住したばかりの頃は、「なぜ誰も教えてくれないのだろう」と不満に思っていました。
こちらからどこが間違っているか、何をしなければいけないのか質問しないと、何も説明してくれないことすらありました。
しかし、イタリアでは相手が意地悪をしているというより、「必要なら本人が聞いてくるだろう」「聞いてこないのなら理解しているのだろう」という考え方なのだと、時が経つにつれてわかってきました。
差別とどう向き合うか
在住5年目になりますが、あからさまな差別発言や行動を経験したのは数回程度です。
そしてそれ以外は、差別されているのかもわからないほど、なんとなく違和感を感じる程度のものです。
とはいえ、受ける側としてはとても嫌な気持ちになります。
そして、いざ差別を受ける場面になると、その場では何も言い返せなかったり、頭が真っ白になってしまいます。
そして、後々家で考え込み、数日落ち込んでしまう自分に疲れていました。
しかし最近では、せっかくの貴重な時間を台無しにしてしまわないために、私は差別かもと感じたときにしていることがあります。
※あくまで私自身が行っている対応方法です。状況によっては無視した方が良い場合もありますし、危険を感じる場合は無理に反応せず、その場を離れることを優先してください。
私の向き合い方
- 本当に自分に向けられた言葉なのかを確認する
- 直接言われたことには黙らずにしっかり答える
例えば、「Cinese!(中国人)」と言われることがあります。
そんなときはやり過ごさず、「No, sono giapponese.(いいえ、私は日本人です)」とだけ答えます。
わざわざ言い争うことはしませんし、中国人に偏見をもっているわけではありませんが、私の国籍はきちんと伝えるべきだと思っています。
そして、私たち日本人がヨーロッパ各国の国籍を見た目だけで判断するのが難しいように、イタリア人にとってもアジア人の違いは分かりにくいからです。
こちらが落ち着いて対応すると、それ以上何も言ってこないことがほとんどです。
- 信頼できる人に話す
強くいようとしても、気にしないようにしても、それでも悲しくなったり腹が立ったりすることはあります。
そんな時は一人で抱え込まず、家族や友人に話を聞いてもらいます。
話しているうちに気持ちが整理されたり、心が軽くなったり、解決策がみつかるからです。
一人で考えるとどうしても落ち込むばかりになってしまいますが、誰かに話をしていると私は元気をもらえて前向きになれます。
今振り返ると、私が差別発言だと感じたものの多くは、確証がもてるものではありませんでした。
そのため、まずは本当に自分に向けられた言葉なのかを、立ち止まって確認するようにしています。
一旦冷静になって、その場の状況を見ます。勘違いだった可能性もあるからです。
確証がない場合は、深追いしないようにしています。人の口に蓋はできないからです。まとめ
イタリアで外国人として生活するのは、楽しいことばかりではありません。
ですが、イタリアには日本とはまた違った良い習慣や価値観がたくさんあります。
特に「周りがどう思うか」よりも「自分がどうしたいか」を大切にする人が多いように感じます。
ですので、私も周りの言葉や態度に振り回され過ぎないことを意識するようになりました。
ほんのわずかな嫌な出来事だけに目を向けず、ぜひイタリアの良いところに目む向けながら、旅行や生活を楽しんでもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
